"01-10" SKATEBOARDING PHOTO by NOBUO ISEKI

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    日本スケートボードシーン、2000年代の軌跡

    現在、ここ日本において第一線で活躍するスケートフォトグラファーとして間違いなく名前のあがる井関信雄が、記念すべき1st写真集 『01-10』を発行する。
    この 『01-10』は、井関氏がスケートフォトグラファーとして活動を始めた2001年からの10年間を纏めた個人的なヒストリーであると同時に、
    東京を拠点に活動してきた井関氏にしか作れない、2000年代の日本スケートシーンの軌跡とも言える。
    過去から未来へ続く、日本のスケートヒストリーにとって重要になるであろう写真の数々が、ここに記録された。

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    ----まず、スケートボードを始めたきっかけを教えてください。
    小学校6年生の時ですね。同じクラスの竹井っていうやつが、「昨日スケートボードでジャンプ台を飛んで楽しかったです」って発表してるのを聞いて、なぜか解らないけど直感的にこいつ面白そうな事やってるなと思ったんです。それまで特に親しいわけではなかったんですが、その日のうちに遊ぶ約束をして彼が住んでいる団地の前で初めてスケートボードに乗せてもらいました。その日はすぐ雨が降って来たんですが、びしょ濡れになりながら二人でチックタックの練習をしていました。だから次の日にはベアリングが錆びてダメになってしまったので、今でも悪い事をしたなと思ってます(笑)。その後自分もおもちゃのスケートボードを買ってもらって、竹井と一緒に近所のスケーターたちが集まる公園に行くようになって、中学生のスケーターと遊んだりして輪が広がっていきました。

    ----出身は高知ですが、当時の地元のスケートシーンはどういう感じだったんですか?
    地元にはヘビースというサーフショップがあって、この店が情報基地の役割をしていました。先輩たちは、そこでブランド物というかちゃんとしたスケートボードを買っていて、小学生だった自分はショップに出入りする彼らに憧れを抱いていました。

    先輩がそのお店で買ってくるスケートボードはグラフィックもカッコよくて、大人の世界に見えましたね。それにしてもこのヘビースが凄くて、2階建ての2階は店舗で、1階にはグラスファイバーでコーティングされたミニランプが設置されていました。それは幅が約3 m、高さ1.5mでバーティカル付き、天井までの垂直エクステンションもあり、という驚愕のスペックでした。そのせいかケガ人も多発してましたが(笑)。このミニランプの奥にはサーフボードをシェイプする工房もあり、サーファーの大人たちもよく出入りしていました。自分たちはこの店にたむろしては『PUBLIC DOMAIN』や『SAVANNAH SLAMMA』などのスケートビデオを見せてもらっていました。ヘビースは今でも健在で地元の老舗になっていて、今はミニランプを撤去して1階は工房だけになったんですが、マスターの親父さんは今でもサーファーとして現役だと聞いています。そのマスターは若かりし頃、塩屋崎公園というスケートスポットでデビル西(西岡昌典)さんと女性をかけてスケートセッションしたという都市伝説が、高知ではまことしやかにささやかれています。ちなみにデビル西さんは高知出身で、同郷の大先輩としてもスケートジャーナリストとしても尊敬している存在です。

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    ----それからずっとスケートボードをやっていたんですか?
    やってましたね。学校の部活にも入っていたんですけどあまり行かずに、スケートしていました。それと子供の頃から絵を描くのが好きでしたね。両親が文房具の卸売りの仕事をしていたので、家には絵の具とか画用紙が使い切れないほど転がっていたんです。自分が17歳の時に足首の靭帯を切る怪我をして3ヶ月くらい滑れない時にも、暇だから絵でも描くかな、と思って描いてました。そうしたらおのずとスケートボードのグラフィックとかTシャツのデザインにも興味が出て、ゴンズやエド・テンプルトンのドローイングを模写したりしてました。それがきっかけで美術に興味が出て、美術大学に進みました。今は落書き程度のものしか描かないですけど、自分は絵を描いていく延長で写真を撮り始めた感じがあります。絵を一枚仕上げるのは長く時間がかかりますが、写真はその場で絵を描くといいますか。写真は英語ではPHOTOGRAPHと書きますが、PHOTOは「光」、GRAPHは「画」を意味するので、本来の日本語訳は「光画」なんです。自分はこちらに近い捉え方をしています。

    ----写真を始めたのはいつですか?
    最初にカメラを手にしたのは大学3年の22、3歳の頃に自分が制作した作品を一冊のファイルにまとめるために友達の一眼レフカメラを借りたことがきっかけだと思います。そのときに初めて一眼レフカメラで写真を撮ったんですが、仕上がりが思った以上に綺麗で、これは凄いなと。その後、自分でも中古の一眼レフカメラを買いました。後に残すことを意識して写真を撮り始めたのはその頃ですかね。

    ----スケートスポットの縁石写真を撮っていましたが、それはなぜですか?
    大学4年の時にドイツとイギリスを一人旅したんですが、ロンドンでサウスバンクという世界的に有名なスケートスポットに行ったんです。そこにこれまたビデオでもよく出てくるレッジ(階段横の縁石)がありまして、見た事無いくらい見事に削られて、鍛え上げられた縁石だったんですよ。だから記念に写真に撮っておこうと思ったんですが、その頃からひねくれていたせいでしょうか、全体の写真を撮ればいいものを、わざわざ縁石のクローズアップばかりを撮ってました(笑)。だけど、それを現像して見てみると、抽象絵画みたいで何か面白く見えたんです。この経験がきっかけで、しばらく行く先々でスケーターが削ったであろう縁石を見つけてはクローズアップで撮っていました。

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    ----フォトグラファーとして仕事を始めたきっかけは?
    スケート専門誌の『WHEEL』との出会いが大きいですね。ある日、書店でスケート雑誌を探してみたんです。そうしたら『WHEEL』という耳なじみのあるタイトルの本があったんです。だけど表紙は何も無い無地の赤で、そこにデカデカと「中島壮一朗」と、これまた自分たちの世代で最も活躍していたスケーターの名前が書いてありました。「なんだこの赤い本は?」と思ったんです。それまで自分にとってのスケートボード雑誌といえば『THRASHER』とか『BIG BROTHER』とか『SKATE NATION』だったんですが、『WHEEL』にはそれまでにないクオリティの写真がこれでもかってぐらい載っていて、しかも日本人のスケーターが写っている、海外のプロスケーターたちも日本のスポットでスケートしている。これはいい本だと思ってバックナンバーもすぐ買いましたね。後々解ったんですが、それらの写真は主に平野太呂さんが撮っていて、現在『Sb』を作っている小澤(千一朗)さんによって編集されていたので、流石のクオリティだったわけです。それまでのスケート写真は、フィッシュアイで大袈裟に誇張して迫力を重視する手法がベースにあったと思うのですが『WHEEL』では、その概念はひっくり返されていました。ロングレンズとブローニーフィルムで撮って、まるでセットの中でスケートしている様な精密なテイストのスケート写真郡で、とても斬新でした。このマガジンなら自分の縁石写真に何か面白みを見出してくれるかも知れないと思って何度か営業の電話をしました。でも「今締め切りが近いから」とか、「打ち合わせ中」とか言われて全然会ってくれなかったんですよ。

    それでもあきらめずに折を見て電話していたら、会ってもらえる事になったんです。初めての営業だったわけですが、まあ何とか縁石の写真を見てもらったんです。そうしたら「次号は写真特集を考えていたから、ちょうど良い機会だけど、ウチはスケートの専門誌だから、縁石だけだと伝わりにくい。良ければスケート写真も撮って一緒に掲載しない?」と言ってもらえたんです。とにかくラッキーな展開で、ふたつ返事でスタートしたんです。

    ----縁石写真だけを持っていくというのは結構ぶっとんでますよね(笑)。
    いやいや、『WHEEL』自体も結講ぶっとんでいたんですよ(笑)。スケートの写真だけじゃなくて、ホームレスがスケートブランドの服を着て立っているポートレートとか、スーツを着たリー君(Alexander Lee Chang)がスケートボードを持って満員電車にすし詰めになっている写真とか、今見ても画期的なアイデアに溢れていて、この雑誌しかない!と思っていました。単純に憧れたんですよ。ただ、そのラッキーが重なってスケート写真を撮り始めたものの実は写真の技術が全然なくて、露出さえも数打ちゃ当たる作戦で撮っていたので、現像してから失敗が分かるという、非常にマズい状態だったわけです。これはいかんということで写真の勉強と食い扶持を稼ぐために記念写真屋に就職しました。そこは出張が多い会社だったので各地に行って、時間を見つけては相変わらず縁石写真を撮ったりスケートに行って地元のスケーターを撮ったりしていました。

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    --------初めて会った頃は、毎日のようにスケーター達と予定を合わせて、スケートの写真を撮りに行ってた印象です。
    そうですね、確か2006年頃だと思います。その頃はひたすら撮影していましたね。単純にやりたいからやるというだけでした。ただ、やるからにはスケーターにも撮影して良かったと思って欲しいし、どうせ撮るならまた雑誌に使ってもらえるようなものを撮りたかったんです。当時、スケートマガジンの最前線で活躍されていた平野太呂さんとかISAMさん(磯野勇)の写真の横に並んでも遜色ない、というか彼ら以上の何かがある写真でなければ使ってもらえないと思って、雑誌を読み込んで、「この写真だったら自分にも撮れそうだな」とか、「なぜ、この写真が表紙なのか」「なぜこの写真が見開きで使われているんだろう」ということを色々と研究していったんです。そうしたらやっぱりあるんですよ、理由が。良い写真ということは大前提で、スケート雑誌の中で活きる写真であるためにプラスアルファがあるんですよ。例えば写真の中のスケーターが右を向いているのか左を向いているかっていうだけで使われ方が変わってくるわけです。フィッシュアイとロングレンズのそれぞれの旨味と弱点とか、なかなか深いわけですよ。その研究の成果が徐々に写真にでてきたのか、編集の人にも徐々にこちらのやりたいことが伝わるようになってきたんです。そうしたらアドバイスとか撮影のアイデアもくれる様になりました。そのおかげで編集的な視野も持って撮影するようになったんです。

    一枚の写真として良いだけに留まらない、本の中でも活きる写真を意識するようになりました。それが2001年から2005年ころまでの、まあ自分の修行期間だったかもしれません。今回の写真集では、その爪痕のようなものも感じて頂けるかも知れません。HIDDEN CHAMPIONで最初に仕事をさせてもらった2007年頃の『TOKYO 10 SKATERS 』の企画でしたね。企画段階から携わる仕事がこの頃から増えてきて、現在に続く自分自身の仕事の基盤が出来てきた時期だったと思います。

    ----実際に、毎日毎日スケーターをつかまえて様々なスポットに行って撮影するのは大変じゃないですか?
    確かに他人からみれば大変に見えるかもしれませんね。だけど自分自身では好きな事をやっているわけですから大変とは思わないです。体を張っている被写体の側のスケーターは比にならないリスクも背負っているわけですからね。撮影に関しては動けるうちに動こうっていう構えなんですよ。70歳になって体が動かなくなった頃に、あの頃はまぁまぁ動いていたなって思えば良い話で、まだ自分は何もしていないと思うので労力に関しては振り返る時期ではないだろうと思います。

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    ----日本のスケートシーンの良いところや悪いところ、足りないと思うものなどありますか?
    良い部分は、比較的小さいコミュニティなので、ほぼ皆の事を知っていられるといいますか、ビデオや写真を撮ったりして何かを狙っているスケーターであれば、お互いほぼ知っているというのは良い環境だと思います。悪いところはそんなに無いと思います。治安が良くて路面も悪くないし食べ物もうまい。当たり前すぎて気づきにくいですが、これはとても贅沢な環境です。世界には明日の食べ物にありつくことが夢だという人さえ居るんです。とはいえ、金銭的な面ではスケートでお金を稼ぐことが難しい環境ですし、ツアーなどの予算が出にくい環境なのでまだまだ発展途上ではあります。これについて環境の悪さを言う人も居ますが、それなら自分で広告費や予算を勝ち取るポジションに自分の身を置く努力をするべきだと思います。もちろん、これは自分自身にも向けた言葉でもあります。具体的な行動をおこさないで文句を垂れている人と志を共にすることはできないんです。結局日本のシーンがどうっていうより自分がどうしたいのか、の方が大事だと思います。それによって状況はついてくると、一度くらい妄信してもいいのではないでしょうか。

    ----では、今回の写真集のコンセプトは?
    まず、自分がこの仕事をスタートした2001年から2010年までの総括です。それが2000年代という時代と偶然にもシンクロさせられる要素だったので、自分史として記録しつつ、同時に2000年代の日本のスケートボーダー達のほんの一部ではありますが、日本のスケートヒストリーとして残せればと思います。そして10年後か20年後か分かりませんが、今まさにスケートボードを手に取ったばかりのキッズ達が、2000年代を振り返る時、歴史の資料であってほしいです。1990年代中頃まではデビル西さんがその仕事を一手に引き受けていたように思います。それを今度は自分がやるべき世代になったということです。

    ----10年分という膨大な量の写真から今回選んだポイントは?
    ポイントになったのは、まずは誰が写っているかです。この写真集を構成していく上で、あるスケーターと撮影を重ねていったときに、結局出会った最初の頃に撮ったものがこの全体の中では光ってくると感じました。最初に撮った写真の新鮮さとか、微妙な距離感によっても被写体の人物像が際立ってくる気がします。とても不思議なんですが、やはり出会いの瞬間は大事っていうことですよね。意外にも撮る人と、撮られる人の関係が如実に出るのではないでしょうか。

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    ----スケートの写真を撮る時に気にかけている事は?
    スケート写真には、ポートレート、ランドスケープ、ライティング、質感、タイミングなどの色々な写真の要素が詰まっています。たかがスケート写真といえども、そこには歴史があり、それを踏まえつつ、外せないポイントがあるんです。だけどストリートの現場では、セオリー通りにいかないことの方が多くて、知識を捨てて閃きに委ねる部分が出てきます。いざというとき大事なのはストリートでの対応力と想像力なんです。ただ、それでもスケート写真として捨ててはいけない部分もあったりして。まさに葛藤です。理屈っぽいですがスケート写真とは、アプローチ、ピーク、着地点の3点から人物の動きを読み解くゲームでもあるんです。テールを叩くところはどういう材質か、どういう形の縁石にトラックがどう乗っているのか。着地点の路面状況はどうか。それらの情報を読み解いて被写体であるスケーターの経験を追体験するゲームです。さらには写真内で目線が泳ぐうちに背景の車通りとかグラフィティなんかが目に入ってきて、スケートを見ながらも実は街を見ていることにもなる。このゲーム性が一枚の写真をスケート写真の歴史に接続させる本質だと、自分は解釈しています。

    ただそれを真面目にやり過ぎるとつまらないので、崩したり、逆のことをやって、スケート写真に精通するフォトグラファーが見ても気になるような、玄人がニヤけるような写真を撮りたいですね。逆に言えば、ただ人が飛んでいてそこにスケートボードが写りこんでいるってだけの写真は、スケート写真とは似て非なるものであると思います。と、いろいろと偉そうに理屈をこねてきましたが、これらはスケート写真のほんの1割程度の部分にしか過ぎません。残りの9割はスケーターとスポット、誰を、何所で、いかにかっこよく撮るかに掛かっていると思います。

    ----では最後にメッセージをください。
    この写真集の制作にあたってご協力いただいた皆さん、制作に踏み切ってくれたHIDDEN CHAMPION、そして協賛頂いたスポンサーの皆さん、この場を借りてお礼申し上げます。そして誰よりも、体を張って今を生きているスケートボーダー達に敬意をこめて、この写真集を送り出します。スケート前の揚げ要素に使ってもらえたら是幸いです。

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    井関 信雄 NOBUO ISEKI
    1976年高知県生まれ。東京在住。2000年多摩美術大学卒業。12歳でスケートボードに出会い、既に23年というスケート歴を持つ。スケートスポットの縁石写真を撮り続けていたことから、スケートボード専門誌 『WHEEL』で2001年よりフォトグラファーとしての活動をスタート。繊細かつ隅々まで考えられた構図によるスケート写真はスケーターから絶大な支持を得ており、日本のみならず海外のスケートシーンからも高く評価されている。スケーターとスポットの関係性を感じさせながら、人物/風景写真としての魅力も合わせ持つ。Sb Skateboard Journal、VHSMAG、SLIDER、HIDDEN CHAMPION、Transworld SKATEboardingといったスケート/カルチャー誌に作品を提供し、FTC、Carhartt、Element、etnies、GRAVIS、Vans Japanなど多くのブランドキャンペーン写真も手がける。ここ10数年の日本のスケートシーンにおいて外せない存在であり、今なお精力的に活動の幅を広げている。 www.nobuoisekiphotography.com

    NOBUO ISEKI "01-10" PHOTO EXHIBITION
    井関信雄 写真集 『01-10』の発売を記念して写真展を開催致します。
    会場では、写真作品の展示と写真集 『01-10』の販売を行います。
    写真集 『01-10』の世界観を体感出来る写真展に是非ご来場ください。

    2013.10.25 FRI-10.27 SUN
    at FLAG,Harajuku
    10.26 SAT, 27 SUN / 12:00-19:00
    Opening Reception: 10.25 FRI 18:00 - 21:00

    FLAG
    東京都渋谷区神宮前6-13-7グランドオム2F
    03-6427-5834 www.flag-tokyo.com