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Posted by yoshi47

Greyzone = Love



昨夜、とある友人からリンクが送られてきました。アメリカ人の友人で、人生を語り合った中でもある人からでした。


彼女は「最近、女性から男性を見る目が馬鹿みたいに厳しくなってきたんじゃないかなと思うんだよね。男性がセクシーに見える6つの要素とか、これができなきゃ大人の男性じゃないというような『洗脳』が世の中たくさん溢れていて、結局それに固執した人達は本当の愛を見つけられないんじゃないかな。その人の奥深く潜む個性を見る事ができず、映画に出てくる完全無欠の男性像を望んでいるような気がする。まるでロボット男性を追い求めていると思わない?」と、色々意味の分からない話はつきず。

その送られてきたリンクがこれ。
FOR ENGLISH SPEAKER
http://www.thefederalistpapers.org/us/woman-realizes-that-shes-been-accidentally-abusing-her-husband-this-whole-time


以下日本語に翻訳したので、時間があれば読んでみて欲しいです。


妻は気づかないうちに夫を傷つけている

wife.jpg

これはある若い女性の結婚について正直に心を開き綴られたノンフィクションストーリーです。ここにはとても力強い真実が語られており、気づかされる事や反省をしてしまうほど価値のある記事になっています。もしあなたが結婚をしており、もしくはしたことがあり、これから結婚をするという方にとっては必読です。




 私の『ようやく分かった!(aha! moment)』という瞬間はハンバーガー用ひき肉パックによって起こりました。私は夫に、夕飯のためにスーパーで色々買ってきて欲しいものがあるのと頼み、彼は家に帰ってくると、買物袋をドサッとカウンターに置きました。私は袋から食品を取り出し始めると、彼は70/30のひき肉を買ってきたことに気づきました。70%が赤身の肉で、30%が脂肪のパックだったのです。




私「何これ?」

夫「ハンバーガー用の肉だけど。」と彼は困惑しながら返事をしました。

私「ちょっとこれ違うんだけど。」

夫「え?違う?」と彼は眉間にしわを寄せながら答えました。「他のブランドとか全くそれとは違うものが欲しかったの?」

私「あのね、私が言いたい事は、あなたは70/30を買ってきたの。毎回私は少なくとも80/20を買ってくるのよ。」

夫「え?それだけ?俺本気で何か間違えたかと思ってたよ。」と笑いながら答えました。




ここから全てが始まります。賢くなろうとしない彼を叱りつけました。なぜ彼はもっと健康的な考えを持たないの?ラベルちゃんと見てる?これからどうやったらあなたを信じることができるの?毎回、小さい事でもこれからいちいち言わなくちゃいけないの?
これ以上に私を怒らせたのは、なぜ彼はもっと注意深く観察してくれていないの?ということ。この何年間も一緒にいるのに気づかなんてどういうこと?私のする事に目を止める事はないわけ?




彼はそこに座ると、私の怒りに耐えながら、つぶやくようにこう答えたのです。「気づかなかったよ」「そんなに大きな問題じゃないと思うんだけどな」「悪かった、次からはちゃんとしたものを買ってくるよ」と。彼の顔からここ数年頻繁にみかける表情がみられました。それは『あきらめ』と『落ち込み』によるものでした。息子が叱られている時にみせるような表情でした。この時私はこう思いました。「なんで私がこんなことしなければならないの?私は彼のお母さんじゃないのよ。」と。




次の瞬間とてもひどい気持ちになりました。自分自身がとても恥ずかしく思えたのです。ここまでおおげさにしてしまうほどの事ではなかったのです。それにも関わらず私はおおげさに怒っていました。私がお願いして、彼がスーパーから買ってきたひき肉パックのために。。。私がそこまで細かい部分を気にするならば、もっとクリアに彼に伝えておくべきだったと思わされました。どのようにしてこの会話を展開していっていいか分からなくなったので、「うん、これでいいや。夕飯の支度始めるね。」とつぶやくように彼に話しかけ、彼は安心したかのようにキッチンを離れました。私はそこに座り込み、長い間必死に私が彼に何をしでかしたのかを考え、もしかすると、ここ数年間彼にし続けてきた事なのかもしれないと。


『ひき肉事件』と私は呼んでいますが、彼が私の思うようにやってくれずに怒った事はこれが初めてではない事は確かでした。彼はいつも間違った場所に物を置くし、物を出しっ放しにするし、全く何もしない時があります。そこで私はいつも彼にあれこれ言っているのです。なぜ私はそんな事をするのだろう?自分の夫を見下し続けて何の利益があるのだろう?人生のパートナーとして選んだ彼、私の愛する子供の父親、そして一緒に歳をとりながら私の側にいて欲しいと思う彼。なぜ私は彼のやり方を小さい事から全て変えてしまおうとするのだろうと思いました。何かを達成したいから?私が彼にして欲しい事を全て覚えていてもらいたいと期待してしまうのはなぜなのだろう?彼が違う事をするからといって、彼が間違っているという意味になるのでしょうか?『私のやり方』が『唯一の方法』といつなったのだろう?まるであたかも彼が間違いをしているかのように、小さい事を全て指摘し、彼にすべき事を教え、彼を正し続ける事がいつ許されるようになったのでしょう?そして、彼はこれで良い想いをするのでしょうか?「おおお!彼女が俺を毎回真っすぐにしてくれるんだ!」と彼は思うでしょうか?そうは思いません。なんでもかんでもうるさく言う人だな、と彼は思っているでしょう。それが続くと、彼は家で何かをやるのをやめ始め、私を避けるようになります。




これが感じられた2つのケースを紹介します。1つ目は、最近キッチンでガラスの破片を発見した事です。どうしたのこれ?と彼に聞きました。彼は前日の夜にグラスを割ってしまったんだと返事がきました。なんで言ってくれなかったのと彼に尋ねると、彼は「すぐに綺麗にして、捨てたんだ。なんで言わなかったかっていうと、このくらいの事で怒られるのが嫌だったからさ」と。2つ目は、私がゴミを運んでいると、外のゴミ箱に青色の靴下が捨てられているのを見つけました。私は彼に、これどうしたの?何がおきたの?と尋ねると、彼は「間違えてジーンズと一緒に洗ってしまったんだ。洗濯をする時、白いものと色付きは一緒に洗っちゃ駄目って分かってたんだけれど、君がこの靴下見て35年間生きてて洗濯の仕方も分からないのって言われるのが嫌でさ」と答えました。だから彼はより良い解決策を見つけて、間違いを犯したと認めるより隠してしまえば良いと考えたのです。彼は間違いを起こしてはいけないと感じるような環境を私は作ってしまっていたのです。




この小さな『罪の意識』というものをじっくり見てましょう。割れたグラス、青い靴下。両方とも誰もがやってしまう間違いですよね?グラスに関しては、私は割ってしまった事への彼に対する不器用さを指摘したばかりでなく、私が破片を見つけたことで、彼に掃除もちゃんとできなかったと虚しく感じさせてしまっていたのです。靴下に関しては、彼が事故だったと言ったのにも関わらず、私は服の選別にもっと注意を払わなければならない事を何度も伝えてしまっていました。このような問題が起こると、彼はそこに少しの間座り続け、返事の最後にはいつも「そんなに大きな問題じゃないと思うんだけどなぁ」と付け加えるのです。




「こんな小さな事や、意見の違い、好みの違いで怒ってしまうなんて。なんでそんなに大きな事にしてしまうんだ?」と。彼は私自身の幸せを考えていなかったり、私のやり方を頑張ってやってみようとしていないんじゃないかと思っていました。「この人は何も分かっていない。」と思うようになり、私の脳みそもそのように考えるようになりました。




友人の夫婦関係について、私の友人たちが彼女らの夫に対しての不平不満について考え始めたところ、私一人だけが問題を抱えているわけではありませんでした。それどころか、多くの女性たちが『妻は何でも知っている』という思考に陥ってしまっているのです。これを後押しするかのように諺があります。『幸せな妻がいれば、幸せな人生を送れる』。彼の意見にはまったくそぐわない諺だと思いませんか?ついつい賛成してしまいそうなフレーズですよね。メディア、映画、テレビ、そして広告には、不幸な夫と賢い妻というレッテルが貼られすぎています。夫は料理ができず、子供の世話もできず、3つの物をとってきて欲しいと頼んだら、2つしか持って来ず、しかもそれは全て違うという。それを何回も何回もこれらの媒体を通じて見続けるのです。




このように連続で、しつこい洗脳は私たちの夫に対して「私たちはあなたを尊敬していません。私たちはあなたが物事をちゃんとできるような賢い人だとは思いません。めちゃくちゃにしてしまう事しか考えられません。そして、あなたがそういう事をした場合、何も言わせずすぐに呼び出しをします。」このようにネガティブな後押しを何度もすることで、夫は何もできなくなると考えこむようになります。自信のある夫ならば、憤りを感じて腹を立てるでしょう。もし、自信のない夫ならば、あなたを信じ始め、それらが自己達成予言となりえるでしょう(奴隷のようになる)。どちらも好ましい状況ではなく、あなたや彼、そして結婚にとって良い状況とは言えません。私はなぜこんな事を夫にしてきたのでしょうか?確かに、この世の中にはこのような事をしない妻もいるだろうし、これは男性の性格上違うのではと思われますが、逆に夫が妻に対してしている場合もあります。私は椅子に座り、この事について考えた時、私の夫は私がしたような同じような行動(叱るなどの行為)を私に対して一切していないことに気づきました。私は今まで結構な数の間違いを起こしている事を思い出しました。家のゲートに車をバックで入れるときに車を傷つけてしまった事があるのに、彼は何も言わなかったのです。私が夕飯を作っている時、母親からの電話で邪魔をされ、黒こげにしてしまった時、彼は「ピザでも頼もうか。」と言ってくれたり。庭に新しい家具を作った時に、彼の道具を雨の中に置きっぱなしにしてしまったのにも関わらず、彼は「起きた事は仕方が無いよ」と一言だけ。彼が間違いを起こした時に私は何を言っていただろうとぞっとしました。ということは彼は私より優れている人間だということなのでしょうか?なぜ私が彼のやり方で出来なかった時、私を叱ったりしないのでしょうか?私がなぜか馬鹿みたいに思えるのです。しかも今まで私を呼びつけたりしたことなんて一度もありません。私のやり方を変えてしまおうと、そこまで熱心ではないのかもしれません。でもなぜでしょう?




彼の言っている事を表面上理解すればいいのでしょうか?事実、このような小さな事は『全く彼にとっては問題ではない』ということで、彼が面倒に思っているとかそういう事ではなく、学習ができないという事ではなく。彼にとっては、小さい事は当然のように重要な事ではないと思っているのです。喧嘩をするような事ではなく、私自身を変えてしまうような事でもないと彼は思っています。だからといって彼が間抜けであるという意味ではありません。彼は、私とは反対に小さい事に対して気にならないというだけの事なのです。だから、彼は檻の外に出されたとしても騒ぐ事もなく冷静でいられます。私は彼をパートナーとして選びました。彼は私の召使いではないし、私の従業員でもなければ、私の子供でもありません。私が結婚した時は彼の事なんて馬鹿だなんて思っていませんでした。思ってたら結婚なんてしなかったでしょうし。私が彼のやり方が気にくわないからといって彼を怒るのは間違っていますよね。ようやく明らかな答えにたどり着いた時に、彼の良い所を考え始めるようになりました。彼は頭が良く、優しく、私につくしてくれるし、子供の世話をしてくれるし、家の手伝いをいつもしてくれる。(いつも私が思うようにはいかないけれど)それ以上に、私が間違いを起こした時、彼と違うやり方でやった時、私を気遣って我慢してくれるだけでなく、いつも私がやる事に賛成してくれます。もし私が特定の方法を好む場合、それを覚えていてくれるのです(時々忘れますが)。そういった彼の良いところを見ずに、私は彼の『粗探し』だけをしていたのです。もう一度言いますが、これは私だけじゃありませんよ。




私たち妻が夫に対して、彼らがちゃんと出来ないからといって馬鹿であるとか、間抜けであるとか言い続ける事で(私たちと違うやり方という意味で)、彼らは物事に対して挑戦をしなくなります。もっと悪い事は、彼らの自信を無くし、私たちの言う事が真実であると信じ込むようになるのです。




私は12年間以上一緒に過ごしてきた夫の事を話しています。雨の日でも私の車のタイヤを変えてくれたり、子供に自転車の乗り方を教えてくれたり、私の母親が病気になった時に一晩中一緒にいてくれたり、ちゃんとした家庭を作り上げ、家族を守ってくれているのです。車のオイル交換をしてくれたり、OSの再インストールをしてくれたり、重すぎるものを持ってくれたり、取れない瓶の蓋をあけてくれたり、天井に扇風機を付けてくれたり、トイレが壊れた時に直してくれたり。私は何もできないのに。それなのに、私はお皿が違うところに置いてあるだけで怒ったりしていたのです。彼は私の為になんでもしてくれる最高の人なのです。だから彼はこのような仕打ちを絶対受けてはいけない素晴らしい人なのです。




このように、色々と明らかになった事で、がみがみ小言を言いそうになる時、私は自分自身を省みるようにしています。100%はできないけれど、段々と良くなってきています。小さい変化が私たちの関係の中でとても大きくなってきているのが感じられます。もっとリラックスできるようになり、以前より仲良くなりました。今まで以上に信頼できるパートナーになっている事も確かです。しかも、彼のやり方のほうがもしかしたらいいのではと思うようにもなってきました。




パートナーシップとは2人で作り上げるものです。片方が正しくて片方が間違っているというのはありません。小さなことにいつも目を向けているようじゃ駄目だと思います。自分自身も成長しないだろうし。みんな覚えておいて、たかが『ひき肉』じゃない。







俺の意見



要するに、『小さい問題』を『大きな問題』にしないことで夫婦関係が改善するという事例。


これはあくまでも、優しい男性が夫という場合で、成立してるよね。女性のために何もせず、自分の好き勝手を常日頃からぶちかましているような男性ではなくて。そこもポイント。しかもコノ世の中には色々な人がいて、何言われても気にしない鈍感な人もいるとかいないとか。だから正解なんてありゃしない。でも、この女性がこの男性に言っている事は別に悪い事じゃないと思う。言わなければいけない時は言うべきだって思うし。嫌な事は嫌だって言わなければいけないとおもう。それは言い方なのかもしれないし、タイミングなのかもしれないし、口数なのかもしれない。でも、この人はようやく人間関係の最終地点である『妥協』というコミュニケーションを見つけたんだよ。そう『白』『黒』という分け方じゃなくて、『グレイゾーン』っていう。小さい問題くらいどうってことないって思える領域。そこの領域こそさ、『愛』だと思うんだよね。自分のやり方がいつも正しいと思っていたら、いつまでたってもControl Freaksの名で呼ばれるだけで、ついには関係が終わってしまうんだ。どちらが『白』でどちらが『黒』って天秤にかけるとバランス悪いでしょ?そのバランスの悪さが人間関係の悪さを表していると思うのね。じゃあどうやってバランスをみつけるかって、その真ん中を掘り出してみると分かるよ。


例えばさ、とあるバーで飲んでた時に隣の人がちょっとうるさいなって思うとするよ。それがだんだんイライラしてくるんだ。うるせ〜な〜って。でもさ、もしその人が一生懸命話をしたくてうるさくなっちゃってるのか、ただ人の悪口でうるさくなってるのか、見極めてみるとさ、もし前者だったら、許せるよね?そうすると、意外とコノ世の中嫌いな人って少なくなると思わない?しまいには嫌いな人なんていなくなると思うんだ。人の良いところをすぐにキャッチできるようになれば。



もちろん、この事が全て正しいわけじゃなくて、他の意見もあるだろうし、これをまともに取るか取らないかは読み手の生き方次第だけれど、最近俺が目にするのは、『大人の男性とは』とか、『セクシーな男性像とは』とか、色々要素的な文章が飛び交ってたり、テレビでも映画でも色々言われてて、確かに!って思うのは間違いないんだよ。確かに、そんな男になれたらかっこいいだろうな〜とか、余裕ありありじゃん!とか。大人になればマナーは大切だし、学ぶ事はたくさんあるのね。意識して、努力して自然にそういう行動をとれるようにって思うんだけれど、やっぱり人間て完璧になんてなれるわけなくて、ボロばかり出るんだ。どうしようもないこればかりは。全ては小さいころの育ちで決まるって良くいうけれど、そうだと思うときがよくある。


でもさ、そんな不完全なところに、その人の個性とか良さがあって、それがとても美しいと俺は思うんだよね。逆にそれが完璧すぎると、魅力を『俺』は感じないんだ。女性は男性をコントロールする傾向があるよね。日本の場合は保守的な感じで逆なのかな?男性が女性をコントロールする場合もあるよね(昔の九州男児みたいな)。でも、結婚している人なら以上の文章の気持ちが少なからず分かると思う。でも、このリンクを送ってくれた女性の友人が言っていた言葉で面白いなって思ったのは『男性に求めるのなら、私たちも同じくらい完璧でいなければ、釣り合わないし、ましてや男性に失礼だよね。だから男性にあれこれ求める人に言いたいのは、あなた自身も同じように振る舞わなければいけないというわけ。わかる?男性に完璧を求めるなら、自分も完璧になれってこと。』って言われて、口ポカンでした。でも、コノ世の中に完璧な人なんていないってことは確か。天皇皇后両陛下でさえ完璧じゃないと思う。知らないけれど。それを知った上で、相手の『中身』を見て、それを受け入れて、妥協して、自分の何かを犠牲にして、ようやく相手との距離が近くなると思うんだよね。じゃない?



この女性は、違う観点から夫を見直すようになって、今まで以上に幸せな日々を送っているって書いてある。素晴らしいと思う。確かにさ、男性も言われたら直せるようにできたらいいよね。でも、直せない時もあるし。それは意識して、行動をすればいいんだ。でも、言われすぎるとこの記事に書いてあるように、妻を避け始める。がんばってもがんばっても先の見えない感が満載。この世の中ネガティブな事を言われ続けて平気な人間なんているわけがない。


要するに、どんな関係でも、相手を許せるようになったら、それこそ最高な幸せが待っているんじゃない?友人でも、恋人でも、家族でも。まあ許しすぎてもいけないけれどね!妥協しすぎてもいけないし!そこらへんはバランスってところで。喜ぶ事も必要だし、怒る事も必要だし、哀しくなる事も必要だし、楽しく一緒に過ごすことも必要だと思うので、それは個々それぞれのバランスで。これが正解ってのは無いから。ただ簡単にみえるけれど、それを実行するのは難しいもんだよね。人を許すって、大変だと思う。


男ならとか、女ならとか、そういうのもうどうでもいいよ。人間ならってことじゃないかな。


あと男性も女性も相手を想う『努力』は絶対忘れちゃいけないよ。気が合うから、自然でいていいと思うからなんていう、そんな簡単なもんじゃないよね。



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