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Posted by @momomagazine

Nas on His Love of Cassettes


Rolling Stoneのインタビュー、勝手に翻訳しました。
なぜなら、大切な事たくさん言ってるから。




"パークジャムなんかに行って、レコードを聴いて、自分の中で発狂してたり。俺は、そういう場所へ出向くのに十分な若さだったからね。外では、本当にいろんな事が起っ てた。パークジャムが終了してしまった後は、思い出だけが残るだろ。会場で、自分がどう感じた、ラッパーが何を言ってた、DJがどういう風にそのレコード を聴かせてたとか。でも、カセットテープに残す事ができたら、後から座って、聴いて、勉強する事ができる。

テー プに録音するっていうのは作業だからね。ラジオ番組が何時から始まる、なんていうのも知っていないとダメだった。ラジオのチャンネルをKISS(98.7 kiss FM)に合わせて、良い曲がかかってなかったら、ダイヤルを回して別の局へってやってるうちに、誰か電話してきたりするわけだ。「おい、今Kissでか かってる曲聴いてるか?」ってチキショー!!ってまたダイヤル戻したりね。でも、その時点で曲は始まっちゃってるから、すでにイントロ逃してるんだ。だけ ど、とにかく録音ボタン押しちゃうの。後で、一曲まるまるゲットできたら、その上に録音しちゃわないようにしないと、とかね。テープに紙入れてたことも あったな。それでも、その曲が一週間とかラジオでかからなかったりするんだよ。その曲聴かないと死んじゃう!ってな。次の金曜日までにどうしてもその曲が 聴きたいのに録音できないだなんて、もう一ヶ月ぐらい落ち込んじゃうレベル。

最初は、両親のラジオで遊んでたんだけど、俺らで壊しちゃったんだ。それで、クロック・ラジオ(時計にラジオが付いてるヤツ)使う様になったんだが、それにはカセットテープ機能は付いていない。カセットテープ付きのラジオが欲しくて待ち遠しかった。

俺の友達の親父とかは、ドラッグ中毒者で、犯罪者だった。常習犯だった。ヨーロッパやアジアに仕事しに行ってるようなのは、まわりでは俺の親父だけだった。 彼が何かをする事で、作り上げた何かによって、金を手にして帰ってくる。楽器を奏でることによってね。親父は俺に言ったよ。自分自身が、自分のボスであれ、ってね。誰かの為にやりたくない事やって、タイムカード打ってなんて、やるなよって。俺の両親は偉大だ。そういうことを、俺にネジ込んだわけだから ね。正しい事をしろってね。

最初のプレーヤーは、シルバーで、カセットが一枚入るタイプのラジオだったな。俺が気に入ってたのは、10W(ワット)のヤツだな。ワット数ってすごい大事 だったんだぜ。「おい、お前のラジオは何ワットだ?」とか言い合うんだ。その後は、テープが2本入るタイプのプレーヤー。それで、自分でテープを作ること ができるようになった。たくさんのテープから、90分とか60分とか、とにかく一番長いテープを作成する事が当時の目標だったよ。友達のテープを録音した り、あとは、もう最高レベルのテープは俺んちに来ないと録音してやらねーぞ。とかね。俺が当時やってたのは、俺とクルーのためのテープを作る事。それを、 みんなで聴いてると、このトラックのビートはヤバいな、とか、このライム(韻)がクレイジーだな、とか気付き始める。公園なんかで、みんなで聴くんだ。そ うして学習する。その一体をアートとしてね。リリックを書く事、プロデュースする事、DJする事。

カセットテープと、今の時代のデジタルの違いに付いて言おう。カセットテープは、お前の鼻に近づけて、匂いを嗅ぐことができるな。独特な匂いだった。ワイル ドな感じ。テープをひっぱり出して、その素材をこう、じっと見てる。そうすると片面は茶色で、もう片面は黒い。そこに音が入ってるわけだ。匂い嗅いで、 触ってみて、こう指でこすってみると、すんげーサイエンス(科学)じゃねーかって思うわけだ。こりゃガチだわ。ってな。電池が無くなったら換えて、って今はどーか知らないが。電池が死んだら、冷凍庫に入れると生き返ったりするって信じてたぜ?アンテナがぶっ壊れたりしても、みんな治し方知ってた。カセット いれるドアの部分が壊れても、入れ方知ってた。テープが速く回り始めちゃったら、絡まる前に止める、とかな。そういうライフスタイル、全部無くなっちゃっ たな。

良 く聴いてたのは、Kool G Rap,  Ultra Magnetic MC'S, Marley Mar, MC Shan, 初期のTribe Called Quest, Jungle Brothers...すげー初期だな。Tribeの前、Tribeになる前の話だ。Dying Headって名前も憶えてる。Yellow Men, あともちろん Bob Marley...レゲエ音楽が、当時のニューヨークでは一日中かかってたんだ。Queenの"We Will Rock You"とか、ヒップホップのベストで言ったら、Mary Jane Girlsなんか最高だと思ってたよ。LL Cool Jのファーストシングルだった、"I Need a Beat"とか、Mc Shanの"Beat Biter," Craig G, 彼らは俺の地元出身のアーティストだよ。クイーンズブリッジプロジェクトな。

テーマを考えてなきゃいけなかったんだ。たくさんレコードがあって。でも曲の長さを計るんだ。この曲だったら、10th通りまで出るのにぴったりだ!とかね。街のこっちに歩く時はこの曲だ。とか。俺らを代表する曲をかけて歩いたんだ。

あ の曲(おそらくMC Shanの"The Bridge")は、パークジャムのことや、そこが暴力的になりすぎてた事や、そこで活動してたヤツらの名前を呼んだりした。最後のバースは、それとは全 く関係ない。最後は、MLK (マーティン・ルーサー・キング牧師)のスピーチに関して。わかるか?最後のバースのスタイルは、最初のトーンと、終わりのトーンが全く違う。そんなこと やったヤツはそれまでいなかった。彼はこう言った "Dead dreams, bought and sold, You gotta try and receive your goal" 死んだ夢、買われて売られて、それでもお前のゴールを目指す努力をしろ、ってな。そんな事言う必要なかったのに。シャンテとかジャビージャックとかいう名 前をシャウトしてるだけで十分だったのにだ。彼は、この地元に対してマジだったんだ。それが、地元の人間の心に触れたんだな。年寄りも、若いヤツもみんな だ。俺、今その頃のカセットテープが無いってことが本当に辛いよ。マディソンスクエアガーデンのコンサートや、Boogie Down Productions...かなり戻ると、Kurtis Blowのライブをテープに録ってあったんだ。俺の大好きなラッパーなんだが、ライブで、歌ったんだよ。スゲー歌えるんだ。俺らはラップの曲が聴きたかっ たから行ったのにさ、それで客席に向かって彼が言ったんだ。「お前ら、俺の歌聴きたくねーのか?知らねーな。お前らがどう思おうと、俺は歌うね!」って。 俺はそれをテープに録ってたんだけど、自分で「ありえねー。お前の事最高に愛してる客に向かってそんな事言っちゃうのかよ!」って思った。それでも彼は、 「お前らが言う事なんて気にしないね!ずっと歌うぜ。」って。

歴史ってのは、重いもんだ。KRS-Oneも言ってたのを良く憶えている。彼は、当時たったの20歳かそこらだ。50年後を見据えてスタートしよう。俺らが オールドスクールアーティストって呼ばれるんだから。ってな。俺ももちろんライムし始めてたが、当時の彼のような活動は、今は全く耳にしないだろ。あい つ、金のためだけにやってたわけじゃない。彼は、俺らみんなのために、ヒップホップ文化自体に光を与えようとしていたんだ。

俺がこれからミックステープを作るなら、Scarfaceをたくさん入れるね。あとOutkastもたくさん。それからランダムにLL COOL Jのアルバムからのカットを入れるだろう。アルバムだと"Nitro"あたりかな。あとはRakim, Kool G Rapのリリカル(叙情的)なヤツを。最近の曲も入れるだろう。その辺の新しいヤツらの曲で、際立つのがあれば入れたいね。いわゆるヒットってのは入れな いだろうな。アルバムの中から強さがある曲をカットで入れたいね。今はようやくヒップホップが、仕事になるって時代だ。でも、ミックステープ時代のヤツらは、もういなくなった。俺らのために、道を作り上げて、トーチを渡してね。俺は、そういう思い出を持っている事が恵まれていると感じているよ。"

source: Rolling Stone

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