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Posted by @momomagazine

Banksy Film


4月に日本でも公開される予定のストリートアーティスト、Banksyの話題のドキュメンタリー、
最初の部分がコレ。翻訳はあとで追って読んでみるといいかも。

Exit Through The Gift Shop from 927 on Vimeo.


Q: マイクチェックをして。大丈夫?居心地はどう?
バンクシー: ワンツー。OKだね。
Q:さっそくだけど、この映画について聞こうか。
バンクシー: うーん。この映画は、なにかっていうと、ある男が俺のドキュメンタリーを撮ろうとするんだが、そいつが俺よりも面白いから、映画がそいつのドキュメンタリーになっちゃった。なんていうかな。行くべき方向に行かなかった。
Q: で、その男って誰なんですか?

その男、とはテリー・ゲッタである。フランス人のその男は、80年代初期にアメリカへ移住してから、ロサンジェルスに住んでいる。フツーの家庭を持つテリーは、街のボヘミアン色の強いある一角で、古着屋を経営している。おしゃれなLA市民に、彼のセレクションを売る事で、それなりに良い暮らしをしていると言える。

テリー: 昔は、古いアディダスなんかを買い付けて、ここらじゃ見つからない物だね。靴にバッグに。でっかい倉庫を所有して、今と縫製の仕方が異なる頃の物をセレクトして袋いっぱいを$50ぐらいで買い付ける。デザイナーのものをね。それで$400ぐらいの値段を付けて店に出す。$50が、$5000になる商売だ。

ただ、テリーには1つ、不可思議な習性があった。それは、ビデオカメラ無しではどこへも行かない、ということ。

テリー: ビデオカメラが、どのように僕の手に舞い降りたかは、憶えていない。でも、その瞬間から、手放せなくなってしまったのは確かだ。永遠にね。最高のドラッグみたいなものだよ。取り憑かれたんだ。カメラを手にしたら、撮影しないでいられない。撮影して、撮影して、撮影するんだ。撮影して、撮影する自分を映して撮影したりした。止められないんだ。自分の家でも、子ども達が成長する姿を撮りたくて家中にカメラをセットしたよ。頭おかしかったね。

デボラ(テリーの嫁):彼、写真を撮る時だって、カチャカチャと連射してビデオを撮る様に撮影するのよ。中毒ね。家中テープだらけよ。

時間が経つにつれ、テリーを知るの周りの人々は、彼がカメラで撮影しているということにすら気付かなくなった。人々は、テリーがどれほどの決意で撮影を続けているかを理解していたのだ。

テリー: (超有名コメディアンのJay Lennoに対して)ちょっとだけ撮らせてもらっていいですかね。
Jay Lenno: はいはい。(カメラに手を振る)

テリー: ねぇシャック、(NBA選手、Shaquille O'Neal)
Shaq: おぅ、なんだよ。
テリー G; フランスのみんなに一言、言ってよ。
Shaq: フランスのみんな、ハロー。(そこまでだ!と止められる)

元OasisのNoel Gallagher:それ、だれかのために撮影しているのか?
テリー: そんなことないよ。
Noel G.: それ撮ってどうするんだ?
テリー: あなたに会うなんて日常的じゃないから撮ってるんだよ。

テリーは、服を売り、動くモノ全てをビデオカメラに収めることだけでも幸せそうに見えた。1999年のフランスへの家族旅行のとある事件が、テリーにドラマチックな転機をもたらした。

テリー: 僕の従兄弟は当時とてもアーティスティックで、一人でモザイクのスペースインベーダーを作ろうとしていた。キャラクターをリクリエイト(再製)させようという試みだ。だから僕は彼を撮影したんだ。

テリー: すごく楽しかったんだ。作ったタイルを建物に貼るっていうね。彼は、自分が好きなモノ、表現したいモノを外に出したわけだ。人々が見えるところにね。

テリーの従兄弟が、アーティスト、スペースインベーダー(空間侵略者)だった。爆発的な新しいムーブメント「ストリートアート」の重要人物となる。グラフィティーから発祥したハイブリッドな形のアートは、新しい世代のアーティストにより、ステンシル、ステッカー、ポスターや彫刻など、その証を残すため、ありとあらゆる手法が使われた。インターネットの普及により、彼らの作品が何百万人に共有されるようになる。ストリートアートは、パンクに次ぐ最も強力なサブカルチャーとしての態勢を整えていた。そして、テリーはそのド真ん中に着地してしまったのだ。

インベーダー: 僕がテリーと居る時は、テリーはカメラを必ず持っていた。僕を撮影し続けた。でも僕の周りの人間は、「こいつなんで撮影するんだ」って言うけど、僕は、「大丈夫。彼はクールだから。」って言うんだ。だいたいは、みんなそれで撮影させてくれる。

ムシュー・アンドレ: それ撮影するのが仕事なの?
テリー: 僕の情熱だよ。
ムシュー・アンドレ: どうやって食ってるんだよ。
テリー: いろいろ。まぁでも今は、休んでるみたいなもんだ。

テリー: 従兄弟を通じて、アンドレに出会った。アンドレが描くキャラクターがいてね、スマイルしてて、ウィンクしてて、長い足でどこへでも行くヤツさ。それから、zeusに会った。街の様々なモノの影を描くアーティストだ。僕は彼らを撮影するのが楽しかった。彼らがやっていることが好きだったから。彼らは、ストリートアートを愛していたし、信じていた。僕は、だんだんとギャラリーを観ているような気分になったんだ。

Zeus: ペイントしたところ、踏むんじゃねーぞ。
テリー: わかってるよ!踏まないようにしてるよ!

テリー: 僕は本当に、ただ大好きだったんだ。夜間にストリートで彼らを撮影するのがね。だれも知らない事を、観ているような気がしたんだ。だって違法なことだし、見つかったら捕まるのに。危ない事やってる!っていう気分だ。危険って大好き。気持ちいいじゃないか。

テリーは、うっかり撮影対象を発見してしまった。撮影を止められない男は、好奇心をかき立てられるアンダーグラウンドアートの世界に迷い込んだのだ。見つけてしまったからには、もう離さない。

バンクシー: ...テリーは、正しい時に、正しい場所に居合わせたんだ。100年以上生き残る歴史的なアートっていうのは、キャンバスに描かれたりしていたが、ストリートアートの生命はとても短い。だから記録されなければいけないんだ。わかる?俺らのアートにはカメラで撮ってくれるヤツが必要なわけだ。

数ヶ月後、インベーダーは初めてLAにテリーを訪ねた。テリーに情熱を追求するチャンスを与えに。

インベーダー: うぉ〜早く早く!!警察来ちゃうよ!
警察:ここで撮影するな。
テリー: 写真だけ撮らせてください。
警察:ここはダメだと言っているだろ。それはグラフィティー(落書き)じゃないか。
テリー: それはグラフィティーじゃないです。
警察:いいから、どかしなさい。
テリー: これはアートです!
警察:君たちはここから離れなさい。
テリー: これはインベーダーです。スペースインベーダー知らないんですか?
警察:スペースインベーダーは知ってるが、お前らはここから去れ。
テリー: スペースインベーダー知ってるの?
警察:...あっち行け!!!!

テリー: 僕はインベーダーを撮影していたんだけど、もっと撮りたかった。インベーダーはいつでも撮影できるから、誰か、絶対に撮影できないヤツを撮りたかった。

もっと撮影したい願望が芽生えたテリーの新たな撮影対象は、数日後、インベーダーの紹介で現れることになる、もう一人の西海岸ベースのストリートアーティスト、その名もシェパード フェアリー。その後彼は、当時の米国上院議員であったオバマを、世界的に知られるアイコンへと変身させたことで一躍有名になるのだ。その以前2000年の時点でもシェパードは凄まじいストリートアートの作者として世界中から注目を浴びていた。70年代のレスラー、Andre the Giantをモチーフにした彼の継続的なパワーを持つ実験的なストリートアートの始まりは1989年の事。Andreの顔と、「OBEY(従え)」という命令の意味を込めたシェパードのイメージは、世界中何百万の人々が目撃することになる。当時、シェパード自身はまだ予想もしていなかった事だが、彼の道とテリーの道はすでに交わり始めていた。

テリー: シェパード・フェアリーは、VineストリートのKinkosにいた。その時、インベーダーは何かの問題に巻き込まれてて、僕と一緒に来れなかった。僕?僕はただ彼に会いたかったんだ。僕が何をしたか?一人で、Kinkosまで会いにいったんだ。彼に承諾も得ないで、撮影したよ。なんにも聞かなかったし、会いに行った時もカメラそのまま持って行ったよ。

テリー: これ、何をやってるんですか?彼(Andre)知ってるの?もう、死んでる?
シェパード: 彼はもう亡くなってるよ。
テリー: あなたにはパートナーがいるんですね。はい、こんにちは。えっと、この活動はどれぐらいやってるの?
シェパード: 10年半になるね。
テリー: 紙、いっぱいだね。
シェパード:  ははは!!...それであなたは何をやる人なんだ?
テリー: 僕は、撮影をします。

その後インベーダーはシェパードと会う事ができて、シェパードがLAを案内して回る事になる。

シェパード: テリーはずっとカメラを持って、撮影していた。インベーダーがすること全部撮影して、その後僕が加わったら、僕の事も全部撮影していた。

シェパード: きっと、インベーダーをHollywood Blv.にくっつけるのもいいんじゃないかな。テリー、どう思う?

インベーダーがパリに帰った後も、テリーはシェパードにくっついて回る。

アマンダ・フェアリー: 2時よ。2時までには帰らせる様にお願いします。そうじゃないと、疲れ果ててソファーで寝ちゃうから。

シェパード: アマンダはいつもテリーは変人だと思ってたよ。でも、僕はすべてをテープに録画してもらう自体素晴らしいと思ってたし、僕にとっても、だれかが見張り役になってくれてるのは良い事だった。

シェパード: 警察来ないか、見ててもらってもいいかな。

シェパード: 最終的には、僕が看板に向かってる時には、テリーに照明を消してもらうことに成功した。

シェパード: ライト付けちゃダメだって言ってるだろ!
テリー:わかってるよ。

10ヶ月にも渡るテリーの密着取材中、テリーが一体何の為に撮影を続けているか、という疑問が浮かぶことは無かった。でも、ある瞬間、テリーはその後80年も彼の人生を占領するような大きなアイディアが訪れたのです。

テリー:最初は、せいぜい2、3度撮影、いや、4、5回か?なに?あと10回?って撮影に応じているんだけど、そのうち「これ、どうするんだよ」ってなことになる。普通の人は、一日、二日撮影して、なにかを完成させる目的があって、そうするでしょう。じゃぁ、どうするかって、そうしたら僕は、ドキュメンタリーを作ろうって考えたんです。

新しい役割、「ドキュメンタリーフィルムメーカー」として、シェパードと共に世界中を旅し始めたテリーは、全ての動作をカメラにおさめた。

シェパード: あのジャイアントのステッカーは、仲間内だけのジョークだったんだ。楽しかった、ってただそれだけ。それなのに、外にあるステッカーが増えれば増えるほど、あのジャイアンとの重要さが増していくような不思議な感覚だった。人々は、どんどんその意味を知りたがり、お互いに聞き合ったりするようになった。それ自体のパワーよりも、見られる事によるパワーが強くなる。

街の人:あ、あなたちょっといいですか?知ってるよ!あ!逃げないで!逮捕しないってば!

シェパード: ストリートのこっち側からは撮影しないで、あっちからやってよ。理由は分かるよね?君がそこにいると、周りの人達が気付いちゃうだろ。

テリー:それは本当に毎晩が大冒険みたいだった。建物によじ登ったり、違法ってのもあるけど、危険極まりない。ただ、やりたかった。できるっていうのを見せつけたかった。僕はシェパードが上っているときに、下で待ってるだけじゃないんだ。彼より高く上って、上から撮ったりもしたよ。

シェパード: テリーは、僕が行くところにどこでもついて来たよ。そして、何かによじ登ることに熱心だった。バケツを動かしたり、とか。撮影する事だけじゃなくてね。彼がただ熱心なのか、熱心でクレイジーなのか、僕はその熱意にはリスペクトするね。

テリーが見ていたのは、シェパードだけではなかった。深く深くへと冒険が続くにつれ、新しいストリートアーティストに出会っていた。

テリー:僕の頭の中では、ストリートアートの映画を作りたいっていうのがあったから、なるべく多くの人々に出会おうって思っていた。相手が撮影されるのをイヤだと言ってもね。僕は、ノーをイエスに変えちゃうんだ。

テリー:このデザイン、とても好きだ。あなたが描いたんですか?
ロン イングリッシュ:これは絵画だ。

テリー:次から次へと、アーティストに出会うんだ。

テリー:ねぇ、そのポスターを作る時は、どこに貼るか、もう考えているの?
Swoon: だいたいは、壁を選ぶわ。壁が好きなの。壁の素材感とか、触った感じとか。

テリー:アーティストと外へ出る時は、僕はまるでゴーストになった気分だ。

テリー:もっと背が高かったらよかったのにね へへへ
Swoon: うるさいわね!!!

テリー:君の名前は?
ボルフ: ボルフだ。これは、僕が16歳の頃に自殺してしまった僕の親友の名前だ。僕はただ、彼の人生を讃えるためにやってる。(「あなたの壁なのに、ごめんね。ボルフより。」)

テリーのドキュメンタリーは、ムーブメント誕生を裏側から捉えた正真正銘の記録として形成され始めていた。ストリートアートの最大の重要人物たちが登場していた。ある一人を除いては。

ニュースキャスター:テート・ブリテン(イギリスの近代美術館)はセキュリティーの見直しに関するコメントを拒否しています。バンクシーと名乗るグラフィティーアーティストが、ギャラリー内に自分自身のアートを掲出するという出来事がありました。

テリー:バンクシーの名前は良く聞いたね。バンクシー!バンクシー!僕は彼の事をとてもイイと思ってた。彼の事は絶対にインタビューしたい!ってね。

興味をかき立てられていたのは、テリーだけじゃなかった。このミステリアスな刺激的人物の冒険は、ストリートアートを遥かに超えて、人々の注目を集め始めていた。(新聞記事「スプレー缶を持った天才。だが、これはアートか?」)
グラフィティーアーティストとして活動し始めたバンクシーだが、その後イギリス中で彼のステンシルアートが発見されるようになる。バンクシーは、自身のD.I.Y.(手作り)的なアートショーを数々行うことにより、「公共物破壊行為」を全く新たな方向へ導き始めていた。

テリー:僕は、本当にたくさんの人々に聞いてまわったんだ。どうやったらバンクシーに会えるか。みんな口をそろえて、「不可能だ」って言った。(新聞記事「ストリートアートの『紅はこべ』は秘密を守り続ける」)どうしたらいいんだ。どうしたら会えるんだ。って考え続けた。

....続きは映画館で????










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