二十代の頃は、真っ青な海に憧れていた。
それも海外旅行のパンフレットにあるような、緑がかったターコイズの鮮やかな青。うまくいかなかったニューヨークの生活を引き払った後、手持ちのドルを全部つぎ込んで、マウイ島に一週間家を借りた時も、小さな自転車で坂道を下って、たどり着いた海はそういうビビッドな色をしていた記憶。
ベトナム二日目の朝は、天井から指す光が眩しくて、7時頃に目が覚めた。デニムの短パンと白いTシャツの下にビキニを着て部屋の外に出た。
昨日は真っ暗で見えなかった風景が、夜の雨を吸い込んでツヤツヤしてる。
小屋の前には、大きなヤシの木にハンモック。濡れた水着を干すのに良さそうな物干し竿。キョロキョロしながら、波の音が聴こえる方へ向かう。
昨日の犬たちといっしょに。
朝の海は、完璧だった。
薄い雲が広がる空は、銀色。視界いっぱいに広がる海。遠浅で穏やかな水面はパールみたいに白く輝いて、波が砕ける直前だけ淡いブルーが現れる。遠くに小さな船が何隻か浮いてるけど、人は乗ってないみたい。その先に、白髪のおじいちゃんと、大きな犬が頭だけ出して浮かんでるだけで、あとは誰もいない。
マッサージやビーチパラソルを売りつけにくる人もいない。安っぽい音楽が鳴るスピーカーも無ければ、「◯◯禁止」などの看板も一切無い。ギラギラと照りつける日差しのせいで、ビールを飲み過ぎたり、鼻の皮が剥ける心配も無い。
水着になって海に入ると、どこまでもどこまでも透明だった。
どんなにライフスタイルを変えても、やっぱり人を傷つけたり、傷つけられたりは変わらなくて、人に出会うというのは相変わらず恐ろしい。でも、この透明な海では、この瞬間も生き物が戦い合って殺し合ってるし、なんかなー。カニは穴を掘るのがうまいなー。とかボーっとしていた。
ふと、頭にアイディアが過った。
『今この時点で、水着を着ている意味ってなんだろう』
こんな遠い所の誰もいない朝の海で、この小さな布切れで私は何を頑に守っているのだろう。ほんの少しだけ沖に向かって、水平線を眺めながら、ビキニをほどいた。この布切れが流されてしまった事を想像してこわくなったので、腕にしっかり巻き付けてヒモを結ぶ。やわらかい波に包まれて、ドキドキしながら水平線に向かって仁王立ちしてみる。
...こんなに勇気振り絞ったのに、世界が全く変わらない感じがすごい。
朝ご飯を食べるときも犬がいっしょにいた。このリゾートに泊まっている間、2匹がずーっといっしょにいてくれた。宿泊客、私だけみたい。